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どの分野に限らず、処女作は、その作品の出来の良し悪しはともかく、作品の発する「情報量」は、その作者の以後の作品と比べ、圧倒的に多いと言われている。 表現したいもののどのように表現していいかわからず、ただ「心の圧力」として感じていたものが、幸運にも表現される機会を与えられた時、作品は、かかっていた圧力の分だけ濃密なものになる。「作った」のではなく「作らされた」と表現する作者も多い。 しかし、除圧が進むにつれ、作者の心の安定と引き換えに、表現されることを求めるエネルギーは枯渇していく。なかには、表現したいことが泉のように滾々と尽きることなく湧き出す人もいるが、表現しなければ母屋を壊してしまうだけのエネルギーと常に向きあっていかなければならない「天才」も、それはそれで大変だなぁと思う。 ハリーさんの停滞を読んで連想したことです。ひょっとして皆さん、健康になってしまったのでは? 追記:響きの良さから「心の除圧」という表現を用いました。手前味噌になりますが、今までの記事の言葉を用いれば「ストレスの器に貯まったストレスのガス抜き」となります。 #
by k-naruwo
| 2005-03-08 22:27
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ええ、しばらく行き詰っておりました。 そんな時、ふと読みたくなるのがライフログにもある「なまけ者のさとり方」という本です。 「自分を愛し、他人を愛しなさい。どうしても愛せないのなら、まずは愛せない自分を愛しなさい。」という、徹底的に自他を肯定する本です。 では、自分自身で全体的である、ということはどういうことでしょうか。それは、狭量で限界のある考え方に片寄らず、あらゆるものを受け入れ、自分の中に取り入れる気持ちをもっている、ということです。言いかえれば、ポジティブな面に焦点をあてれば、必ず、同時にネガティブな面を作り出している、ということを知っているということです。何かがわかった時には、それ以外のことについて、自分は無知であるということを認める、ということです。神聖な使命感を持ったならば、その裏側の罪と共に生き、その責任を受け入れてゆくということなのです。(31ページ) このような矛盾を含んだ文章は、昔の自分には到底受け入れられなかったと思うのですが、今はこのような表現に安らぎを覚えます。 さて、突然ですが、お知らせです。統合失調症の説明の途中なのですが、ここ最近、統合失調症にまつわる新しい知識・経験が、私に対してどんどんと流入してくるため、自分自身の頭の中でうまくまとまらず、疾患の説明をすることが困難になっております。しばらく統合失調症の説明はお休みにさせていただきます。ご了承ください。 あー、やっと言えました。 #
by k-naruwo
| 2005-03-08 19:57
| 日記
4月から、病棟の研修医指導係から、外来へ移ることになりました。 指導者ではなく、一勤務医に戻るので、少しホッとしています。 ブログの内容も、少し軽めなものが増えるかもしれません。 ワンデー・アキュビューのCMに出ている女の子は、眼鏡姿の方が似合っている気がする。とか・・・ あ、まだ3月だった。 #
by k-naruwo
| 2005-03-03 23:56
| 日記
さて、少しずつではありますが、説明を再開したいと思います。 不確かで頭が忙しい状態を、少しでも落ち着かせるために「物語」を作ろうとする傾向は人間の「正常な機能」であり、薬によって抑えることができるのはあくまでも「頭の忙しさ」だけで、「物語の内容」まで変える事はできないことについて、前回説明をしました。 では、その人の作り上げた「物語」に対して、治療者はどのように関わればよいのでしょうか。 その4で挙げた患者さんに対して治療者は ① 「攻撃を受けた、というのは、あなたが病気だったからそのように感じたまでのこと です。薬を飲まなければまた再発する可能性が高いから、飲んでおいた方がいいです よ。」 ② 「昔のことは良くわからないけれども、あなたはただでさえ忙しくなりやすい脳を持って いるのだから、薬は補助ブレーキとしてもうしばらく飲んでおいた方が安心だと思いま すよ。」 ③ 「いや、まだ攻撃してくるかもしれないから、薬は飲んでおいた方がいいですよ。」 といった対応の仕方が考えられます。これらの応答は①から③へ向かうほど、物語を肯定的に捉えているのはわかっていただけるでしょう。③の対応については是非が分かれるかもしれませんが、私は患者さんによっては仕方なくではありますが、③のような対応で薬を飲み続けてもらうこともあります。その際は、私自身が「無理に『真実』を押し付けて、患者さんの頭を余計に忙しくさせるくらいなら、患者さんの『物語』に敢えて入り込み、患者さんの安定を保つ方がましだ。」という、治療理念と称した「妄想」に従っているわけですが・・・ ただし、これはあくまでも、その話を持ち出した時の患者さんの状態が安定していることが前提の話です。明らかに再び頭が忙しくなっている状況であるが故に、昔のことをあれこれと蒸し返してくる患者さんもいらっしゃるので、そのような状態であると判断した場合(落ち着きのなさ、睡眠時間、そして「不思議な体験」が再び生じていないか等をチェックします)は、理屈抜きに「私から見ると、あなたは今頭が忙しそうだから、ブレーキの薬を少し増やした方がいいと思うけど?」という対応になります。繰り返しになりますが、治療のターゲットは「妄想」ではなく、あくまでも「頭の忙しさ」なのです。 #
by k-naruwo
| 2005-03-02 00:50
| 各論4 統合失調症
前回は、頭のブレーキが効かなくなることで、周りの世界と自分とが強く繋がっている「雰囲気」が生じ、様々なことが「思いつく」ようになること。そして、そのような出来事を裏付けるかのように様々な声が周りから聴こえてくるようになること。更にそのような不思議な出来事に対してその人なりの「物語」を作ることによって何とか頭を落ち着かせようとすることについて説明しました。 妄想について、もう少し話を続けます。 よく統合失調症の治療薬は「幻聴や妄想を取り除く」という表現がされます。しかし、「思いついてしまう」方の妄想は薬によってある程度治まりますが、不思議な体験に対してその人が作り上げた「物語」としての妄想は薬では治りません。「不思議な体験」を、その人が「病気」と捉えるか、それ以外の「物語」として捉えるかは、その人の「価値観」が決めることだからです。(そもそも「病気」という捉え方もひとつの「物語」に過ぎませんが) ひとつ例を挙げます。 More #
by k-naruwo
| 2005-02-17 13:45
| 各論4 統合失調症
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