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このように、「過剰な抱え」によって結局治療を破綻させてしまうのは、「愛情こそすべて」という熱血漢溢れる初心者に多く見られます。(時々、熱心に関わりすぎることによって治療者が病気になってしまうこともあります。大抵は「美談」になってしまうのですが、そこに「病気になるという形で、体裁よく患者を見捨てる」目的が暗に含まれている可能性も考えられます。このような形の「見捨て行為」は、患者さんがその治療者に怒りをぶつけるわけにもいきませんし、更には「私が先生に無理をさせて、先生を病気にしてしまった」という罪悪感を抱かせてしまうものです。このような複雑な感情は、後の治療者との関係に大きな影を投げかけます。病気になった先生には申し訳ありませんが、後の治療者にとっては「いい迷惑」なのです。)広い意味で「揺さぶりが抱えを越えない」ためには、「抱えすぎない技術を持つ」ことも必要になってくるのです。 しかし、現在の精神医療でむしろ問題なのは、このような「過剰な抱えによる失敗」から、「時に、抱えるのは程々にしたほうがいい場合もある」と学習するのではなく、「抱えてはいけないのだ」更には「冷たく扱うことが患者さんの治療には必要なのだ」と勘違いし、患者さんの「抱え」の欲求に対して、初めの段階から「その手には乗らない」と一切応じようとしない「不感症」な治療者が増えてきていることなのです。最悪な場合は、治療者が別の場所で貰ったストレスを「冷たく扱うことが必要とされる患者さん」に対して、「治療」と称してぶつけてしまうのです。 このような現状は、精神疾患は「薬で良くなる」という認識が患者さんのみならず治療者にも広がっており、「関わる」という人間にとって基本的な営みについて、ものぐさをしている関係者が増えてきていることも、大きな要因になっています。 「傷をいじくりながら治すこと」というエッセイを以前書きましたが、「薬」という道具を手に入れただけで、「脳」という領域に対して「天下を取った」気持ちになり、目の前の患者さんを置き去りにして有頂天になっている医療従事者が、多すぎる気がしてなりません。
by k-naruwo
| 2004-11-15 19:21
| エッセイ
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